江戸時代の妖怪に、塗仏というものがある。仏像ではない。佐脇嵩之の『百怪図巻』①によれば、真黒な裸形で両眼は眼窩から出てぶらんと垂れている。これは何だ、なぜ塗仏と呼ばれるのか。
元ネタは、ほぼ判っている。京極夏彦の小説『塗仏の宴 宴の始末』で登場人物が挙げる、『諸国百物語』の「豊後の国何がしの女房の死骸を漆にて塗たる事」だ。ある男が、病死した女房の遺言に従い、死骸を黒漆で塗り固めて持仏堂に祀っていた。新たな妻を迎えると、男の留守に真黒な女が現れて私が来たことを男に言うなという。しかし新妻が男に話してしまうと、真黒な女は新妻の首をねじ切って去る。男が持仏堂を開けると、漆塗りの女房の前に新妻の首がある。怒った男が真黒な女房を仏壇から引きずり出すと、女房は眼を見開き男の喉に喰い付いて殺してしまった、という話である。
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれた「塗仏」②が、仏壇から半身を覗かせているのはこの場面らしい。ただし『塗仏の宴 宴の始末』の登場人物たちは、『画図百鬼夜行』の飛び出た目は「開いた目」とは違う、色も本文のようには黒くない、「どうもぴったりしませんなあ」という。その違いなら、説明できる。『諸国百物語』のこの話は、恐らく人形芝居の小説化なのだから。
この話は百物語の他の話より長く、妙に具体的だ。新妻が留守番をしていると、死んだ女房が持つ鉦鼓の音がだんだんと近付いてくるのは、『牡丹燈籠』の幽霊の下駄のカラ~ン、コロ~ンに先駆ける聴覚的な演出であり、真黒な女房も視覚的インパクトが強烈だ。『諸国百物語』が刊行された延宝5年(1677年)頃には人形浄瑠璃(文楽)が流行り始め、話の舞台の豊後も古来、人形芝居が盛んな地である。なにより人形浄瑠璃には、目玉に仕掛けのある首があるのだ。たとえば斬られ役の「梨割」という首は、斬られると頭がパカッと二つに割れその真っ赤な断面の中で目がきょろきょろと動く。ここまでするのなら、目玉を飛び出させてぶらんと垂らす仕掛けくらいできよう。塗仏の目玉はこのような仕掛けを描いたものではないか。
現代のドラマと小説の間でも必ずしも内容が等しいとは限らず、同じ役者がいつも同じ役を演じるとも限らない。最初の塗仏を描いた佐脇嵩之は、本からでなく題材元の人形芝居に拠って描き、後世の『画図百鬼夜行』は、石燕が別の人形による芝居を見て描いたのではないか。証拠を求めて当時の人形浄瑠璃の台本にこの話がないか調べたのだが、今のところ見つからない。もしあれば、教えてほしい。
図版出典 ① 国書刊行会『妖怪図巻』
② 角川ソフィア文庫『画図百鬼夜行全画集』