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村の運動会で(秀村研二)

  • 2024年03月01日

 1984年だからもう40年も前になる。私はソウルでの10ヶ月の韓国語の学びを一応終え、8月から韓国慶尚北道の貧しい漁村に住み込んで、フィールドワークのための生活を始めた。当時の韓国社会は軍事独裁政権下での高度経済成長の只中にあったとはいえ、まだまだ貧しかった。例えば、私が村の中にいた1年あまりの間に牛肉を食べたことは1回もなかった。また豚肉は祖先祭祀の供物に使われるのでその時だけ、鶏肉は選挙があった時に候補者がお土産で村に持ってきたのを食べただけだった。私がいた村は半農半漁だったので魚が捕れれば食べられたが、海が荒れる冬の間はそれもなかった。鍋一杯に葉物の野菜主体の汁物を作ってはそれが無くなるまで、三食それをなくなるまで食べ続けるのだ。主食は米だったが、私が住み込む3年ほど前に用水路が出来、水田が増えたため米が主食になったのであり、それまでは米は貴重で麦や芋が主食だったそうだ。今では魚がいなくなって漁ができないなどと言いつつ牛肉を食べているのだから豊かさが全く違う。そんな時代の話しである。
 私がいた村から歩いて20分ほどの村に、その辺りの4つの村の子供たちが通う小学校があった。私が住んでいた家の末っ子が6年生、隣りの家の真ん中の子が1年生で通っていた。秋のある日に運動会があったのだが、娯楽の少ない農村地域では村をあげての一大イベントだった(これは日本の村でも同じだった)。大人たちも着飾り、お弁当をもって応援に出かけた。子供たちが競技をしている横で大人たちはシルム(伝統的相撲=モンゴル相撲に似ている)をやったり、酒を飲んだりで本当にお祭り騒ぎだった。大人たちの競技も村別対抗の綱引きやリレー競争もあり、応援も含めておおいに盛り上がった。
 ところで徒競走(かけっこ)が子供たちの運動会のメイン競技であるのは日本と同じなのだが、見ていると何かが違う。走っている子供たちの半数ほどが途中で走るのを止めてバラバラに席に戻ってしまうのだ。先生たちもそれを注意したりするわけではない。一緒に見ていた私の村の人にどうして最後まで走らないんだと聞いたところ、何で最後まで走らなきゃいけないんだと逆に不思議そうな顔をされてしまった。そして、一番になれないんだったら最後まで走る意味がないじゃないかという。
 日本の小学校ではマラソン大会がある。私の子供たちが通っていた学校でのマラソン大会を見に行ったことがある。現在はそんなことやってないのかも知れないが、当時はどんなに遅い子供でも最後まで走ることが求められていた。そのために先生が一緒に走ってリードしたり、先に走り終えた同級生や応援の保護者たちのガンバレ・ガンバレの声援を受けながら走るのである。これではゴールするまで走るのを止められない。私も子供たちも走るのは得意だったから自身の問題として感じたことはなかったが、マラソンが不得意な子供たちの思いはどうだったのだろうか。
 広く世界に知れ渡っているように、競争社会の韓国では常に一番をめざすことが求められ、そして評価される。一方日本社会ではで皆と同じことをやりとげることが求められる、この在り方の違いは結構大きい。K-POPの韓国のアイドルたちも厳しい競争に勝ち抜かないと評価されない。一方日本では、好きなアイドルをたとえ評価されなくても”押し”で応援する人々がいる。共に成長していくのが楽しいらしい。K-POPアイドルたちが巷にあふれ、話題になるのを眺めつつ、40年前の韓国の小学校での運動会の一コマを思い出した次第である。

着飾って応援の村人たち
シルム(伝統相撲)が始まると皆が集まってくる