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つなぐブログ、つながるかな?シリーズ、その1(中野隆基)

  • 2023年07月01日

前回のブログでは、大阪での学部時代を振り返り、まさかのスペイン語専攻から、文化人類学との出会い、ボリビアでのフィールドワーク、明星大学への着任など「偶然との出会い」について書きました。

今回からの私のブログでは「つなぐブログ、つながるかな?シリーズ」と題して、全学共通教育委員会の先生がたのブログのテーマや内容に触れつつ、勝手に中野視点から「つなぐ」試みを行なってみたいと思います。今回はシリーズ「その1」で、藤原先生のブログ「『ぱんきょう』の思い出」と「大学時代に単位を落とした話」と中野との接点を探ってみたいと思います。私と同じく、「センター試験」が大きく運命を左右(おおげさ)したご経験をお持ちの藤原先生。実は私も単位を落としたことがありますし(何かは内緒)、「英語教科教育法」の授業を履修したこともあります(高校の英語教諭免許を実は取得しています)。

私が受講した英語教科教育法の授業では、英語帝国主義を取り上げる回があったと記憶しています(記憶違いならごめんなさい)。私はその回の内容を念頭に、グループワーク内の模擬授業で、モタモタと時間超過をしながら、世界には様々な英語があること、文化相対主義という視点を持つことが重要であることを意識した模擬授業を行いました。発表後、先生には案の定「モタモタしてたけど」とご指摘を受けつつ、(英語教員が)「向いてるんじゃない?」とお褒めの言葉を授かりました。実際のところの先生の本音と評価は分かりませんが(最終的な成績すらも覚えていない)、個人的には恥ずかしながらも嬉しかったことを覚えています(そして、今の明星大学でのスペイン語科目の教育目標としても、直接的ではないにせよ、このような関心を批判的に深め、広げることを目指しています)。

いま振り返れば、自分でもツッコミどころ満載の発表と内容だと思いますが、自ら授業で学んだことを手がかりとして自分で調べ、勉強し、発表し、先生からコメントをもらう、という貴重な学びの機会だったと思います。そして、この学びのプロセスには、「間違えても大丈夫、先生や周りの学生が間違いを指摘して、より建設的なコメントをくれるから」という安心感が決定的に必要で大事です。その意味で、藤原先生の「転んでもただでは起きない精神」の大切さはとてもよくわかります。そして、ここにほんの少し付け加えさせてもらえるとすれば、「転んでもただでは起きない精神」を発揮して行動につなげるには、きっと「転んでも大丈夫、転んでもどこでどうやって転んだか、起き上がるにはどうすればいいか、先生・他の履修生・職員のみなさんが何らかの方法で一緒に考えてくれるし、何とか起き上がれば、前にいろんな道がまだ広がっていることを教えてくれるから」という安心できる学びの環境が必要なのです。そして、道は歩いていけば見える風景もきっと変わってきますし、何なら歩かず「座って休憩する」「そのままのんびり寝そべってみる」という「起き上がり方」を選択しても、空の天気や歩く人、動く動物や昆虫、植物など、周りの風景は必ず変わっていきますよね。

成績評価基準と単位取得基準の厳密化・実質化・標準化が昨今の国内の大学では強く求められ、GPA制度が大学でのみなさんの学びや生活までを強く拘束し、「失敗」する機会をある意味制限することもある現状では、なかなか「転んでもただでは起きない精神」を発揮することは難しいかもしれません。これらはすべて、当初の目標はどうであれ、皆様がそもそも「転ぶ」ことを決して許さない環境や雰囲気づくりに一役買ってしまっているところがあるからです。これではとても「転ぶ」ことなどできません。

でもきっと、「転ぶ」こと、そして(座ったり寝そべったりして休憩することを「選択する」ことも含めて)「起き上がって歩く」こと、「変わりゆく風景を楽しむ」こと。これらはおそらく、とても大事なことだと思うのです。

でも、どうやったらこんな学びの環境を整えることができるのか、まだ私にはよくわかりません。

今回は藤原愛先生のブログを読ませていただきながら、中野はこんなことを考えたのでした。

参考文献
松村圭一郎(2019)『これからの大学』春秋社。

通勤中の多摩モノレールから見えた富士山