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「身体で学べ!(暴力的な話じゃないよ)」ということ(佐藤洋)

  • 2024年05月08日

 今日は。保体部会の佐藤洋(さとうよう)です。2年ぶり2度目の出場(執筆登板)ですね。

 さて、どんなことを書こうかと悩みましたが、実は先般、テキスト『体育原理』を上梓しました。

 今回はその一部でコラムの名を借りて雑感を記したので、ぜひこちらでも紹介させてください。

 早速ですが、世の中には「本当にすごい人だな」と思える人がたくさんいます。私は特にスポーツや部活動の経験からイメージしやすいのですが、いま思えばアルバイト先であったり、たまたま隣に座ってお話した人だったり、そして明星大学で一緒に働く先生方のなかにも「おぉ!」と感銘を受ける人がたくさんいます。こう思うと、幸運にもこのような人々とは案外出逢ってきているようです。おそらく、皆さんも「この人はすごい人だな」と思った経験はあるのではないでしょうか?

 このとき、私はなんで「すごい」と評価してしまったのだろうかと、ふと我にかえります。一般に、自分には不可能なことだと感じたり、それを成すことの難しさを自分が理解しているからこそ、他者の「すごい」が評価できるのでしょう。しかし、自分がその人と同じ世界で活動している、そして同じ目的をもっている場合はどうでしょうか。絶対に敵わない!という場合を除いては、案外「すごい」と評価していないかもしれません。なぜなら、悔しいから。自分はまだやれるから。負けてなんていないから。

 なんだか、素直に讃えられない卑しい人間性を感じる人もいるかもしれませんが、私はそう思うこと自体については悪いことだと思いません。むしろ、そういった面持ちこそ、見返してやろうとするような、負けまいとするような、未来で達成するための原動力を持っている現れだと思うからです。もちろん、他者の「すごい」ことを卑下したり、感情的な振る舞いを表してはいけません。それでも、トゲのある人間?が理性的に丸くなる過程においては、誰しもが通っている道であるように思われます。

 さて、こうした体験はややもすると「身体で学んでいる」と言い換えられるでしょう。それはあなたの人生を通して降りかかる機会すべてに起こり得ます。案外、学校に行っていない時間のほうが、自分の身体をそこに持って行って、自分で考えて振る舞って、それが他者に受け止められた人間関係のなかで、自分の身の振りかた(・・・・・・)を学んでいるのだから。・・・こう考えると、学校における体育・スポーツという教育上の文脈のなかで提示できるものって、生涯教育という意味においては、以外と多くはないのかもしれませんね。

 私ごとですが、子どもの頃はこんなことは考えず、ただただ興味・関心に従って体育・スポーツを実践してきました。そのときの最大の関心は「自分に何ができるか?」ということにあったと思います。だからこそ、“アレ・コレがしたい!(できない!)”という欲望に苛まれることもあったし、“出来る(上手い)ことがエラい!”という価値観に一喜一憂したり、ときにはチームやクラスといった社会集団のなかで自分の振る舞い方を確立したり、そして悩んでもきたのかなと、しみじみと思い返します。でも、こうやって“身体で学んで”きました。

 やっぱり、私たちは生まれながらに身体と生涯を過ごします。自分の身体を好きか嫌いかなんてはお構いなしに、一生はどんどん過ぎていきます。私たちの身体はいよいよ生活が習慣づけられてくると、気にしていたことも意識しなくなり、無自覚に生きる時間も多くなります。こんなことを考えていると、私たちは豊かな感受性を身体に持っているのだから、もっと身体との対話を大切する機会を意識してもいいのかもしれない、と思ったのでした。

写真は、トゲのある頃?の、大学生のわたし笑