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フランスで墓参り(上田耕造)

  • 2026年03月12日
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2025年4月から8月までの特別研究期間に、フランスに滞在しました。フランスに長く滞在するのは久しぶり。時間的にも余裕があったので、墓参りに行くことにしました。

私は普通の日本人で、フランス人の親戚もいません。じゃあ、誰の墓? 墓参り先は、ブルボン家の墓です。といっても、ブルボン朝の有名な国王、例えばルイ14世とかの墓ではなく、その先祖たちが葬られている墓です。彼らは「中世」と呼ばれる時代に活躍した大貴族でした。そして、私は彼らの研究をしています。長年、この人たちにお世話になっているので、いつかお礼をしなければと思っていたのです。

パリから電車で約3時間、そこからさらにタクシーで約20分で、ようやく辿り着く場所にブルボン家の墓があります。そこは、フランス中部の田舎町スヴィニーSouvignyという場所です。おそらく日本人でここを訪れたことがあるのは、私ぐらいでしょう。この町の中心に教会(もとは修道院)があるのですが、そこがブルボン家の人々が眠る墓所です(写真1)。教会内には、ブルボン家の当主(ブルボン公と呼ばれます。「公」は爵位)とその奥さんを模した石像が置かれています。横に寝かせて置かれているので横臥像といいますが、いわゆる墓石のようなものです(写真2)。この横臥像の前に立ち、「あなたたちの研究を勝手にさせていただいてます」と手を合わせました。教会で眠るブルボン家の先祖たちも、東洋人が墓参りに来てびっくりしたことでしょう。

写真1 スヴィニーの教会
写真2 ブルボン公と公妃の横臥像

さて、ブルボン家の中には、「裏切り者」と評される人物がいます。ブルボン公シャルル3世という人物です(写真3)。フランス王フランソワ1世の家臣だったのですが、裏切って神聖ローマ皇帝カール5世に仕えることになります。実は、このカール5世はフランソワ1世の最大のライバル。そんな人物にシャルル3世は鞍替えしたのです。フランソワ1世としては怒り心頭でしょう! ただし、これはフランソワ1世側の視点。

シャルル3世は、なぜ王を裏切ったのでしょうか。ものすごく簡潔にまとめると、それはフランソワ1世の依怙贔屓(えこひいき)が凄かったからです。フランソワ1世は、仲のいい貴族を重用し、シャルル3世のような古参の大貴族を軽視しました。ちなみに、当時のフランスにおいて、この依怙贔屓は地位や名誉さらには収入にも関わる大問題。フランソワ1世に相手にされないシャルル3世は、王を「見限り」、カール5世のもとに向かったのです。

でも、なぜカール5世? しばしば見落とされる点なのですが、実は、シャルル3世は、そもそもカール5世の家臣でした。当時、シャルル3世はフランソワ1世とカール5世の両方に忠誠を誓っていたのです。中世において、貴族が同時に二人の主君に仕えるのはよくある話。また、家臣側が、自らの期待に答えてくれない主君を「見限る」こともしばしば起こる。つまり、シャルル3世側からすると、カール5世のもとに向かったのは、「裏切り」ではなく、当時の慣習に基づいた行動だったわけです。

歴史的人物の評価は、しばしば変わります。見る視点が異なると、見え方が変わるからです。歴史研究をしていると、多様な視点で物事を捉える重要性を痛感します。織田信長は冷酷な人物? 秦の始皇帝は英雄? こうした偉人たちを別の角度から捉えてみると面白いですよ。

ちなみに、シャルル3世はスヴィニーに葬られていません。彼が亡くなったのはローマ。シャルル3世はカール5世軍の指揮官としてフランス軍と戦っていたのですが、フランス軍の兵士が撃った銃弾によって亡くなりました。遺体はそのままイタリアで埋葬されたのです。私は彼の遺言書を研究で扱っているのですが、そこでは「ブルボン家の先祖たちのようにスヴィニーに葬ってね」と書かれていました。フランスから離れても、いずれは帰ろうと思っていたのかもしれないですね。