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やっぱり語学の才能なかったみたい(廣瀬直記)

  • 2025年03月01日

記憶をたどってみるに、外国語にはじめて出会ったのは幼稚園のときだ。ドイツから金髪の男の子が途中入園してきたことがあり、園児たちはそろって「グーテンモルゲン」と「グーテンターク」を刷り込まれたのである。

次の出会いは、中学の英語。恥ずかしい話、1年1学期の中間試験で盛大にずっこけ、そこから英語嫌いデビュー、中3の夏くらいまでは地をはうような成績だった。しかし、高校受験の勉強をはじめてみると、高2くらいまでは順調に伸び、運良く大学受験も乗り切ることができた。ただ、英語を読むことは、ずっとピント外れのレンズでモノを見ているようだった。

大学に入って、新たな外国語を勉強しはじめた。一つは古典ギリシア語。古代ギリシアに漠然とした憧れがあって、1年間履修してみたものの、いまとなっては「パイデウオー(教育する)」しか頭に残っていない。もっとまじめに取り組めばよかった。

もう一つは、選択必修の中国語。二十世紀末当時、これからは中国の時代だ、という噂が飛び交っていたのである。1年のころは中国語が身につく実感があって楽しかったが、2年になるとご多分に漏れずモチベーションが劇的に低下、無気力のかたまりだった。覚えているのは、2年の終わりに語学から解放されて「やったー!」と思ったことだけ。東洋史専攻だったにもかかわらず、中国語からも漢文からも逃げ回っていた。

大学4年になったぼくは、就職氷河期のまっただなかで、中国哲学の大学院に進学しようと思い立った。院試の過去問を取り寄せて、ようやく漢文が本格的に必要らしいことを知る。大学受験の参考書を復習し、大学で行なわれていた『老子』の読書会にも参加し、9月末の試験でぎりぎり大学院に滑り込んだ。4年の後期からは院の授業に参加するよう命じられ、そこで『赤松子章暦せきしょうししょうれき』という謎のテキストを読むことになったが、付け焼き刃の漢文力ではチンプンカンプンで、それをスラスラ訓読(※「有朋自遠方来、不亦楽乎。⇒朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。」みたいなやつ)してゆく先輩たちがまぶしかった。

先輩たちがスラスラ訓読していた部分

院の授業はすべて漢文のテキストを輪読してゆく形式だった。だから、「漢文が読める=できる院生」という雰囲気が強烈にあって、漢文に対するモチベーションも自然と高くなった。漢文の先生が開催していた訓読の勉強会に参加したり、同じ研究室にいた韓国人留学生と道教文献の読書会をしたり、学部の仏教漢文の授業にもぐったり、とにかく漢文が読めないことが人生の一番の悩みになるくらい。かくして、必要最小限のレベルで漢文が読めるようになったのは、修士3年から博士1年のころだったと思う。

一方、修士3年からは週に1回初級フランス語の授業にも参加させてもらい、出たり出なかったりを3年くらいつづけた。その後、講読と仏検の授業にももぐり、論文が読めるか読めないか際どいレベルだったが、少しは研究に役立てることができた。いまとなっては、エートルの活用さえあやふやだけれども。

その間、中国語はずっとほったらかしだった。とはいえ、大学院では留学が既定路線のようになっており、博士2年の秋くらいから中国語学校に通いはじめ、ゼロから勉強し直した。聞いたり話したりできるようにはならなかったが、たぶん、そのとき中国人の先生から学んだ発音が、中国語を教える立場になったいま一番役に立っている。

その後いろいろなことがあって、ぼくは大学院ドロップアウト状態になり、日本から逃げ出すように上海に留学した。そこでの生活は最高に気楽だったし、1年目は大学内の語学学校に通うこともできた。唯一辛かったのは、いっこうに中国語がうまくならなかったことだ。留学直前直後には「◯ヶ月も経てば、中国語が自然と頭に入ってくるようになるよ♪」という話をよく聞かされたものだが、待てど暮せど、そんなブレイクスルーが訪れることはなかった。3年目に入って、中国語に対して感じていたストレスから、しだいに解き放たれる感覚があって、それだけがぼくに実感できた明るい変化だったと思う。

長い道のり~留学生寮から校舎まで

帰国後、お金のなかったぼくは、新宿区内の安いシェアハウスに転がり込んだ。そこは住人の7割が外国人で、留学気分を延長させることができた。日本語ができる外国人は、ほぼ例外なくトライリンガルで、魔法のように言葉を操っていた。ぼくにとっては、それが語学を勉強しつづけるモチベーションになったし、日本語ができない住人とサバイバル英会話をするのもそれなりに楽しかった。

それからさらに時が経って、けっきょくいまも英語はピント外れのままで、漢文もとうてい極めることができず、フランス語は化石化し、中国語も相変わらずヘタっぴで、やっぱり語学の才能なかったみたい。でも、いつかはかっこいいトライリンガルになりたいし、しぶとく勉強をつづけている。学生のみなさんも、いっしょに励んでみませんか。