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炭焼き体験から得られるもの-環境保護と日本文化の大切さを理解する-(深澤清) 

  • 2025年01月01日

 周知の通り「自立と体験」科目は2002年4月、本学青梅校で開講されてから現在に至ります。当時は「野外活動」、「文章研究」というユニークかつダイナミックな必修選択科目のスタートでした。「野外活動」では八王子・大学セミナーハウスでの環境教育(炭焼き体験)、そして青梅校での野外キャンプ等があり、文字通り野外での活動が中心でした。一方、「文章研究」では少人数制による教員の徹底した文章指導を行い、いわゆるエズラ・パウンド的な「イマジズム手法」で、学生たちは言語操作による実践的な〈体験〉をしました。

 現状は知りませんが、大学セミナーハウスには環境保護団体が管理・運営する炭化窯が数基あり、学生たちは裏山の竹林で伐採した竹を炭化処理しました。その他、食器類の製作や調理の熱源としても竹を利用し、充実した体験学習プログラムを用意しました。竹の有効利用について補筆すれば、南多摩地域には伝統的に「メカイ」と呼ばれる竹かごの製作技術があり、その技法は都の無形民俗文化財に認定されています。メカイとは「目籠」と書き、多摩地域で自生する細い篠竹で編まれる〈かご類〉をさします。その特徴は六つ目の籠で、主に江戸時代から昭和の半ば頃まで、南多摩地域においては農閑期の貴重な収入源でした。昔から日本人は竹の持つ生命力を抑制しつつ、それを竹細工や炭に加工して日常生活にうまくとり入れ、山里の森の保護に努めてきました。それはまさに資源の有効利用、エコ活動です。真竹(まだけ)は曲げや圧力に対して強いことから、弓や籠、そして扇子などの工芸品に利用され、古くはエジソンの白熱電球のフィラメント材としても使われました。一方、孟宗竹(もうそうちく)は食用のタケノコとして知られています。

農家で頂いたメカイの籠

 現在、地球温暖化による影響が指摘されていますが、平安時代は低温期であったとの研究があります。貴族の衣装が十二単という重ね着であった理由は、寒さ対策の一つだったそうです。貴賤を問わず、防寒は当時の人々にとっては大きな関心事でした。平安時代に書かれた清少納言の『枕草子』には、「火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし」とあり、冬の寒い朝、炭火が各部屋に配られる様子が描かれています。ヨーロッパの石造り建築では暖炉で薪を燃やすことができますが、日本のような木造建築では煙や炎が少ない〈炭〉が最適でした。
 座学において客員講師が示した電子顕微鏡写真(木炭・竹炭の内部細胞)は、学生たちにとっては衝撃的でした。数ミクロン単位の微小な孔は、微生物の担体(棲みか)として適しています。学生たちは科学的な視点に立ち、自分たちが作った〈炭〉の内部には、目には見えない微生物の世界があることを知りました。その〈炭〉は今でも担当教員の宝物として研究室に飾ってあります。

ナタや斧を使うのは初体験でした
雨天時は大学体育館に宿泊しました