その昔、私は熊本大学で学生生活を送っていました。専門の生物学だけではなく、教養部で開講されていた文学や社会学などさまざまな分野に触れることが楽しみでした。本来であれば124単位ほど取得すれば大学を卒業することができましたが、卒業時には191単位を取得していました。今考えると、真面目すぎやしないかと思いますが、当時は楽しく学んでいたのでありました。
さまざまな分野を学んでいく中で、文系、理系問わずあるワードが出ることがありました。それは「水俣病」でした。水俣病は熊本県水俣市周辺で発生した公害病です。1950〜60年代に化学工場から排出されたメチル水銀が水俣湾に生息する魚介類に蓄積され、それを食した人々に中枢神経疾患が発生したものです。その当時、メチル水銀による健康被害は未知な部分が多く、経済的にも多くの問題を擁しており、その対策も含めて後手後手の対応が被害を拡大させました。
熊本大学は地元の大学であり、多くの研究者が水俣病に向き合いました。その経験を講義内で聞くことが多かったということです。私が一番印象に残っているのは、海洋生態学での水俣病の話です。動物プランクトンの分類や生態を専門にされている先生でしたが、メチル水銀の生物濃縮のメカニズム解明にも取り組んだというものでした。そして、その研究成果は本来の分類や生態という研究より注目されたと笑っておられました。水俣病に関する研究は、その時代が求めたものであり、研究するということにも意図しない様々な事が起こるのだなと学生である私はその時に感じたものでした。
さて、今年は東日本大震災から10年になります。未曾有の自然災害の前に、なす術もなかった辛い記憶が今でもよみがえります。私も震災発生時は福島県の大学に勤務しており、地震被害や放射性物質の汚染問題に苦しんだ一人です。震災直後は健康問題や食料問題等これからどう生きていくかに注視せざるをえませんでしたが、数ヶ月すると研究者としてどう震災に向き合うべきかと考える余裕が生まれました。その時に問題になっていたことは放射性物質の生物への蓄積とその影響です。そこが私の新たな研究のスタートとなりました。本来の私の研究テーマより様々な意味で注目を集めたのは言うまでもありません。