私は幼少の頃から釣りが好きで、父にせがんでよく釣りに出掛けたものだった。釣りの対象魚は川の中流から下流域に生息するオイカワ、ウグイ、鮎あるいは鮒といったもので、比較的川幅があって緩やかな流れの場所に連れて行ってもらった。しかしその父が若くして他界し、釣りに出かけることもなく過ごしていたが、父との釣りを思い出しては釣り雑誌などを購入して釣行記事を読んだりしていた。大学へ入学後の学生生活では自由な時間も多くなり、釣りに行きたいという気持ちが高まってきた。最終的には渓流釣りに傾倒していったのだが、それは渓流魚の美しさに惹かれていたからだろう。また、その頃の私は深山幽谷を一人歩くことに心地よさを感じていたようにも思う。
渓流魚とは岩魚(イワナ)、山女魚(ヤマメ)とアマゴ等である。山女魚やアマゴは中流域にも生息するが、他の渓流魚を嫌って源流域まで生息するのが岩魚である。以前は山女魚が東側に、アマゴは西側にと棲み分けていたようであるが、現在では養殖や放流が盛んになって混在してしまったようである。山女魚とアマゴには体側に幼魚紋(パーマークという)があって酷似しているが、アマゴには朱点があるので区別することができる。山女魚とアマゴには背側に黒色の斑点があり、体側に白色の斑点を持つのが岩魚である。湖に棲む岩魚であれば80cm~90cm程度に成長する個体もあるが、川で成長した岩魚は大きくても45cmくらいが限界であろうか。東北地方ではこのくらいのサイズに成長した岩魚を、その泳ぐ様子から潜水艦と呼んでいる。また、新たに造られたダム湖では山女魚が大型化することがある。これは銀毛(ギンケ)といわれる大型化する素質を持った山女魚が、川から海に降ったものと勘違いしてサクラマスに成長する、ということのようである。しかし、そのような現象は1、2年で消滅するという。琵琶湖などでアマゴが大型化したものがビワマスであり、岩魚が海に降って成長したものをアメマスという。渓流魚の中で私が釣りの対象としたのは岩魚だった。
渓流釣りでは、その釣場で釣りを楽しむことができるのは最初に入渓した者だけである。先行者が竿を出した後では数日間は釣場を休める必要がある。釣り場を求めて、次第に容易には入渓することのできない渓流を地図上で探して釣行するようになっていった。山形県の八久和川水系、富山県の黒部川水系や静岡県の大井川水系へと足を延ばしていったが、北海道の渓流だけは過去に日高山脈で大学生がヒグマに襲われた事故を知っていたので、釣行することはなかった。足しげく通ったのは、都内から450km程度の距離に位置し、新潟県の川内山塊、下田山塊を源とする渓流域(写真参照)であった。
大学院に進学して研究を続け、その後、福島県の新設大学への採用が決まり、地理的にも新潟に近くなり、これは大いに釣りができるぞ、と期待したが当然のことながら新たに実験室を立ち上げなければならず、釣行は棚上げせざるを得なかった。実験環境が整い研究活動が軌道に乗ってくると、次は成果が問われることになるので、春と秋の学会に備えて新たな成果を上げつつ、夏季休暇中は成果をまとめたプロシーディングスを携えて国際会議へと参加するようになっていった。
学生時代とは、自分が自由に時間を使うことのできる期間であり、しかもそう長くはない貴重な時間であったと思われる。