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愛機1996-2011(浜野喬士)

  • 2024年09月01日

 人文系の研究者稼業をしている者のなかで、専門的に詳しいというわけでもないが、パソコンについてあれこれ考えたり、選んだりするのが好き、という人は多い。その例に漏れず自分もその類の下手の横好きで、大した使い方をするわけでもないのだが、それでもこの機体のときはこの論文、あの機体のときはこの翻訳、という思い出がある。
 はじめてコンピューターを買ったのは大学入学のときで1996年、アップルのPerforma5420という一体型の機種であった。CPUは120MHz、メモリは16MB(GBではない!)、かろうじてついていたHDDは1.6GBしかなかった。秋葉原のラオックスで買ったはずである。当時珍しかった黒ボディのもので、テレビも見ることができた。もちろん志は低く、『三國志V』と「さめがめ」専用機という不毛な使用法であって、付属ソフトに『クラリスワークス』というのがついていた。これで当時入っていた思想系サークルの会誌の原稿などを書いた記憶がある。インターネット元年の1995年の次の年の出来事だが、ほとんどスタンドアロンで使っていた。科目登録も紙であり、LMSなどはなかった。
 2000年代頭に大学院に進学。なぜか哲学に転ずる。いろいろあり新宿区を離れ、立川に引っ越すのだが、そこではソーテックのノートパソコンとGatewayのデスクトップを使っていた。Gatewayはその後、いったんアメリカに撤退することになるのだが、当時はウシ柄のケースが人気で、立川の北口にもなんとリアル店舗が存在したのである。立川生活二年目のときにADSLが開通。どっぷりとネットにはまる条件がそろってしまう。

 修士課程は、「やらなければいけない水準」と「いま自分がやれる水準」が極端に隔たり、その現実が容赦なく目の前に突きつけられるという、とても厳しい時期である。当然脳内は現実逃避モードになり、勉強しながらネット、合間にもネットとなる。当時の立川の家は、立川南通りと中央線が交わる中央橋というところの至近で、明け方に始発の通過音がする。やらなきゃいけない、でもやれなかった。大後悔の時間となる。ソーテックとGatewayの二台は修論失敗の暗い思い出と密着に繋がっている。
 修論を三年で書き上げられなかった私は、いきおい修士四年目に突入。金銭面のこともあり中央線沿線の某予備校で働くことになる。同時にM4。圧倒的劣等生。しかし何が功を奏するか分からず、仕事のため毎日規則正しく起床し、外に出て、人に会う、という生活で、なぜか研究も好転。もらった給料を使い、秋葉原の裏通りのジャンク屋で安値で買ったのが中古のThinkPad 560。サブノートの名機だが、1997年のモデルで、本当に安かった。当時はWindows XPが出た直後だったが、OSはWindows 98であった。これを使って家にこもらず外で執筆。修士論文は完成したのだった。
 その後D3の2006年にドイツに行くのだが、この前後に持っていたPCが相次いで不調に。仕方なくデルのInspiron 640mというノートパソコンを買った。ローエンドだったが、当時にしてはそこそこの1GBのメモリを積んでいたこともあり、軽快に動いた。この機体は、自分が研究においてやりたいことを、ようやく自分が許せる基準でやれるようになった時期と重なる一台である。なので、とても印象深い。これを使って後の博士論文のコアとなる論文を書いたり、新書になった『エコ・テロリズム』を書いた。液晶ディスプレイが今ではまずみない1440×900(WXGA+)と縦に大きかったのも、長い論文や本を書くには好適だった。この後、ディスプレイの主力は横長のFWXGA1366×768になってしまうので、移行したときには何とも縦に窮屈に感じたものである。
 2009年からお世話になっていた先生方の紹介で、群馬の新設大で非常勤講師として働くことになった。Inspiron 640mはまだ元気だったが、機体の重さは2.4kg超もあったので、もっと軽い、しかし軽いマシンを求めて買ったのがEee PC 901-16Gであった。定価で5万円ちょい。これは2007年にASUSが世に送り、ネットブックとして一世を風靡していたEee PC 4G-Xの強化版で、その名の通りSSDを16GBに増量したものであった。ちゃんとWindowsであり、カタログ上は8.1時間バッテリが持ち、当時、講義でスライドを映すために必須のD-Sub15ピンも備えていた。これだけ聞くとすごく快適に使えそうだが、肝心のCPUのIntel Atom N270 CPUがあまりにモッサリしており、何をやるにもプチフリーズするという過酷な一台であった。しかしいずれにせよ、大学教員稼業の出発点で、いわば一緒に修業した思い出深いPCであり、今でも取ってある。
 2011年の震災直後の4月、母校で任期付きの助教として働き始め、そこで着任時に用意してもらったのがThinkPad X220である。このマシンで博論やそれをベースにした『カント『判断力批判」研究』を書いた。ロンメルのInfanterie greift anの翻訳、『歩兵は攻撃する』の仕事をしたのもこれである。伝統の七段キーボードの最後の機体であった。着脱可能な9セルバッテリーも便利で、互換品も含めたくさん備蓄した記憶がある。
 このX220以上に使い込んだ一台はない。というより、これ以降に所有したPCは残念ながら「愛機」にはならなかった。これはX220が良すぎた、というだけではない。個人的な原因は、この時期に一般化したクラウドストレージを使い始めたことにある。PCは自分の研究と一心同体の愛機というより、たんにクラウドのDropbox上においてあるデータにつながるためのインターフェースになってしまったのである。だからこの一台でなければダメ、式の過剰な思い入れや、偏愛など、まったく不必要なものになってしまったのである。こうして下手の横好きのPC遍歴は、X220とともにあっさり終わった。今も研究室のテーブルの隅にX220は鎮座している。だが何年も起動することなくそこに置かれたままである。