よく人の性格や好みに対して、「もうこの歳になったら変われないね」、「あの歳だからもう変わらないでしょう、あの人は」なんてセリフを耳にします。人は本当に歳をとると変われない(変わらない)のでしょうか。
これは、幼少期からの「嫌い」を克服したある中年女性(私)の話です。
皆さんは、虫(昆虫とか蜘蛛とかひっくるめて)好きですか。私の英語の授業で preference (好み)についての表現を学ぶユニットがあり、そこで「それぞれの虫について、love から can’t stand まで好きの度合いを答えよう」という活動をしたところ、ほとんどの学生がどんな虫であってもdon’t like や hate、そしてコードネーム「G」で呼ばれるヤツ(ゴ◯◯リ)に至っては、ほぼ全ての学生が can’t stand と答えました。
明星大学の学生の多くは東京近郊で育ち、あまり虫と戯れることもなく成長されたのですから、仕方なし。かくいう私も、虫嫌いのまま大人になりました。しかし、ある出来事をきっかけに、気がつくと虫が平気になっていたのです。実は「平気」どころか、自ら透明の筒で虫を捕獲し、筒に入れた虫をじっくり観察、マクロレンズで写真を撮ったりしております。そうです、「興味津々」です。この私に何が起こったのか、時は5年前に遡ります。
当時2歳半だった娘が、ある日の公園で私に駆け寄り、プレゼントを手渡してくれました。
娘:「かあちゃん、てぇだして」
私:「なになに?」
娘:「ハイッ!」
私:「?!!……わぁ……か、軽いねぇ…」
娘が大事そうに手に持っていたもの、そして私の手の平にそっと載せてくれたものは、死んだセミ(アブラゼミの死骸)でした。正直、心臓が飛び出るほどびっくりしたのですが、娘の無垢な笑顔を目の前にして、とても「ぎゃぁぁっ!」と言いながら払いのけることができなかったのです。むしろ、子育てをする母として、セミを(死んでいるけど…)プレゼントとして持ってきくれた娘の気持ちを裏切ってはいけないと、一瞬で判断しました。そこで冷静を装い、必死で絞り出した感想が「軽いね」だったのです。
立派な見た目に比べて、私の手の上のセミは驚くほど軽かったのです。後々調べて分かったのですが、オスのセミのお腹は声を響かせるために空洞だそうで、なるほど、軽いわけだな、と思ったものです。
その後、娘は無類の動物好きに育ち、フサフサの動物はもちろん、虫も魚も、ヘビでもなんでも、アメフラシを見ても「かわいい」といいながら撫で撫でしてくれる、心優しい女の子に育ちました。お気づきのように、セミの一件があった後の私は、娘に生物に対する偏見を植えつけてはいけないと、どんな生物にも冷静に接するようになり、ある日気づくと、「G」でさえ平気になっていたのです。娘と一緒に生物について調べたり、虫を観察したり、「知る」という行動が、気持ちの変化に繋がったと思っています。好きが高じて、今では家でアダンソンハエトリ(すでに3代目)を飼っています。この夏も、近くに蚊が飛んでくれば、チャンスとばかりにプラスチック容器で捕獲して、意気揚々と家に持ち帰り、ハエトリグモに「ごはんだよー」と与える毎日。明星大学が緑豊かな大学で本当によかった。
人生も半分を過ぎて、「人って簡単には変わらないよね」と、半ばあきらめ気味に口にすることもあった私ですが、「人って、変われるものだな」と思うようになりました。しかも、そのきっかけは突然来るものなのだと。
好き/嫌いや、得手/不得手、苦手意識、恐怖心、不安感など、学生に皆さんも日々ご自身の「意識」と闘っていることと思います。克服の仕方も人それぞれだとは思いますが、一つ言えることは、相手がなんであれまずは「知る」ことです。皆さんも、苦手だと思っていることを、少し「知る」ところから始めてみませんか。全学共通科目には、多彩な分野の研究者が揃っています。ぜひ、自分の学部や学科を越えて、興味のあることを少し「知る」経験をしてみてください。それが、思いがけない「変化」につながるかもしれません。
以下、虫の写真なので嫌いな人は見ないでね。

