こんにちは。保体部会の佐藤洋(さとうよう)と申します。
明星大学に着任してから4年が経ちました。幸いなことに、熱心に学ばれる学生と毎日を過ごし、いつも新しい(驚きの?)発見があり、教員でありながらも日々勉強させてもらっています。するとたまに自分の学生生活を思い返すことがあるのですが、本学とは一味違った特殊な大学(?)で過ごしたものですから、「ああ、これが大学生だよな!!」と妙に感傷に浸ったりもします。
ところで、私はそんな特殊な大学に行くくらいですから、幼少期からスポーツに打ち込む日々を過ごし、それこそ大学生になっても無我夢中でやってきたものです。いまでは(これこそ幸いに)スポーツを通した学びを提供する教員、という立場になっていますが、その引き出しの多くは私のスポーツ経験が多分に影響しています。
さて、誠に勝手ながら小生について少しだけ…。私は小学校からサッカーを始め、その頃は育成システムがどんどん整備・強化された時期だったと思います。やり込める環境が準備されており、認められれば上手い選手達とプレーする機会を得る、努力して結果を出せば次のステップに進む、といったいわゆる競技スポーツの選抜方式のなかにいました。
当たり前ですが、何も考えず競技の世界に居続けた私は、大学生になってもこの世界から簡単に離れられません。サッカーだけでなく、怪我をして手術をしては“ピッチ”に戻るつもりが、リハビリがてら通い始めたジムで総合格闘技に出会い、なぜか“リング”へ復活の場所を求めます。もはや競技の種類や種目など関係なく、少なくとも、まだまだ競技スポーツの世界にドップリでした。
とてもいやらしい話をしますが、この時は、競技における充実の日々を第一線で過ごしていると自負していました。全国各地に仲間が増えたりしてはスポーツマンガの主人公になった気分でしたし(田舎の狭いコミュニティを抜け出したような優越感があったり…)、生意気にも、スポーツをやってれば「進路だって選びたい放題」くらいに思っていました。
“井の中の蛙大海を知らず”
私って「なかなかこれに見合う男」だと気付いたのは、まさに大学生のときです。特に、自分が熱中しているときほど、自分がそうなっているなんて疑いもしません。また、言葉の意味はもちろん知っていても、大人になればなるほど自分に当てはめて考えたくはないものです。でも、実際は、競技の経験から自分の物差しを勝手に作っていて、それに基づいた見方や考え方が凝り固まっているのでした。 父親の仕事が海運業ということで「太平洋」から私に洋と名前を授けてくれたのに、スポーツ以外の“大海”を知ろうともしないなんて。こんなことを考えてハッとした、学生時代を思い出しました。