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借景(叢小榕)

  • 2022年11月01日

いわきで教鞭を執っていたころ、よく学生たちを引率して中国を訪れ、語学実習や社会調査実習を目的とした海外研修を行ったものである。海外は初めてという学生も少なからずおり、毎日が驚きの連続だったと後に振り返って言う。未知ゆえの驚きはもちろん、日本のマスメディアを通して知っていたつもりが、実はまったく違っていたということへの驚きもあったようだ。

「先生、これ、もらっちゃいました」

 反日デモが盛んな時期と重なった北京での海外研修の初日、学生たちが一房のずっしりとしてみずみずしい竜眼を抱えてホテルに戻ってきた。近くにあるフルーツ屋で店頭に並べられている竜眼を物珍しそうに眺めていたところ、日本からの学生とわかった店主のおじさんからただでもらったのである。

 竜眼は、かの楊貴妃の好物であった茘枝と同じように、亜熱帯中心の嶺南地域産の果物で、美味で栄養に富み、漢方薬にも入るが、北方の北京では珍果である。緊迫したデモ現場で取材する諸外国のジャーナリストたちが、カメラの向きをわずかに変えれば、穏やかで微笑ましい日常を収めることができるはずであった。竜眼をもらった一件で、学生たちは『論語』中の「朋遠方より来たる有り、亦た楽しからずや」という言葉に対する理解を深めたようである。

 美しい庭園で知られる蘇州での海外研修では、当然ながら、先人の美学や智慧が詰まった庭園の見学を日程に組んでいた。蘇州の庭園といえば、世界遺産にも登録されている拙政園や留園などが代表的なものである。学生時代から何度となく訪れていた拙政園だが、写真を撮っていると、それまでに気づかなかった景色が視野に入った。高く聳え立つ塔が庭園の池に映っているのであった。よく見ると、その塔は庭園から遠く離れたところに立っていた。塔は寺院の一部で、三国時代に呉の孫権が母親のために建立した寺院と伝えられる。爾来、戦火で焼失しては再建され、いつの間にか、塔の姿は庭園の景色の一つとして取り入れられていた。造園において、景色を造るだけでなく、既存の景色を生かす「借景」も大事だと古の人が考えていたらしい。

 ところで、竜眼をもらったことで『論語』の言葉に対する理解が深まったのも、借景に似ているところがある。塔が池に映ると、庭園の美しさが増すのと同じように、外国からの客に対してごく自然に発露した店主の善意に引き立てられると、『論語』の言葉の内包がより際立つようになる。かくして、物事の相互作用から豊かな世界が広がる。

蘇州の風景