明星大学

全学共通教育委員会

つなぐ学び

つなぐブログ

クメール語が開いた世界(髙橋珠州彦)

  • 2021年09月01日

今から10年ほど前、私はJICAの青年海外協力隊員としてカンボジアで暮らしていました。私がカンボジアに関心を持つきっかけとなったのは、青年海外協力隊員に参加するよりも更に10年以上前、学生時代にアンコール遺跡群を見るため旅行に出かけたことまで遡ります。いわゆるバックパッカーの旅でした。まだまだ内戦の爪痕が残る時代のカンボジアの風景は、帰国後も強く心に残っていました。大学・大学院で地理学を専攻して既に卒業していた私は、ある時何気なく眺めていたインターネットで、カンボジア政府がアンコール遺跡群を保存するためデジタル地図(GIS)を活用するボランティアを募集している、という情報を目にしました。記憶の中に強烈な印象を残したままのカンボジアで、自分が学んできた地理学が役に立つかもしれないと感じたことで、私は応募することを即決しました。30代半ばになっていた私は、筆記試験や健康チェックなどにやや(いや、かなり…)苦戦しながらも合格し、晴れて派遣前訓練に参加することになりました。

派遣前訓練は、活動先の現地語を習得するための“語学訓練”中心の約2か月にわたる合宿生活でした。私はここで初めてカンボジアの公用語である「クメール語」に出会うことになりました。訓練所入所時は“模様”か“記号”にしか見えなかったクメール文字ですが、訓練を修了するためにはクメール語のスピーチ試験に合格しなければならないという、途方もない課題を課されたのでした。訓練中は朝から晩まで、文字通りクメール語漬けの毎日を過ごしました。“苦行”と思われた日々でしたが、自分よりも10歳ほど若い同期たちがグングン上達するのに比べ、少々(いや、だいぶ…)苦戦しながらも、日本語との表現の違いや、クメール語の独特で多様な表現方法を学ぶにつれ、カンボジア人の思想や生活様式などが感じられ、とても楽しかったことを覚えています。この歳になってようやく、私は外国の言葉を学ぶ楽しさを思い知ることになりました。

この猛特訓のおかげもあり、赴任後は不慣れながらも「クメール語を話す日本人」として、地元の人びとの生活圏に受け入れて頂くことができたように感じます。一人暮らしをしていた家の隣は、地元の人たちが自然と集まってくる食堂で、近所の方や、バイクタクシーの運転手などとも顔見知りになり、時には一緒にコーヒーを飲みながら話し込むこともありました。 今では日常的にクメール語に触れる機会が無くなってしまい、残念ながらほとんど忘れてしまいましたが、外国語は使ってこそ意味があり、人生を豊かにしてくれるものだな…と感じます。ぜひ皆さんも新しいことに挑戦して、世界を広げてみませんか?

写真は観光客で賑わうアンコールワット西参道(2009年3月)